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幻のコギは僕の口に入った

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  (20260504) 長男長女が孫を連れて帰った。 総勢9人の夕食は賑やかだった。 ごちそうはいろいろあって山菜のてんぷらも人気があったようだ。 山奥に生息するコギ(イワナ属、ゴギとも呼ばれ中国山地の上流に生息) は誰も手に付けず僕の口に入った。 食べたのは40年ぶりだろうか。 僕の知ってる名人が届けてくれた。 僕は比和のコギは絶滅したと思っていたが まだ生き残っているようだ。 家の前で見たのは 2009年 が最後。 僕らが子供の頃は家の前の谷にもいたし どの谷にも生息して 夏の夜の川歩きでも大量に獲れていた。 昔は乱獲で自然にある毒を使った漁もあった。 居場所を知っている人は僕ら世代より上はたくさんいる。 若い人は興味を示さないので今後は 増える可能性はあると思うが 冷水を好むので温暖化が最大の障害になるかもしれん。 もう一つ砂防ダムの上流にも生き残っているんだが アマゴを放流する馬鹿がいる。 アマゴの繁殖力に負けて 生息域を減らいていることもあるという。 コギの骨酒が飲みたい。 一度行ってみよう。 種籾の直播は長男がやってくれた。 僕がやっていたら今ごろブログなんか 書いてはいられなかっただろう。 ありがとうございました。

トラクターは快適だがくたびれた

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  (20260503) 一日中雨が降り代掻きばかりをした。 寒暖・雨風に関係なくトラクターは作業ができる。 乗っているだけだがひどくくたびれた。 田んぼの水の状態は少し多めで 粗代掻きには向いていないが田植前の本代掻きは 少なめにしてキチンとやることにしよう。 トラクターの積算時間が1513hrになった。 エンジンオイル交換は4月14日で1475hrだった。 約3週間で40hr近く作業したことになった。 今シーズンの春作業終了時には60hrくらいが追加されるだろう。 明日は晴れる。 種籾の追い播きを完成させよう。

やはり追い播きをすることにした

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(20260502) 思い悩んだあげく直播の余った種籾は 追い播きすることにした。 ドローンにするか動噴にするか迷うが 昨年と同様に追い播きは動噴散布機ですることにした。 昨年直播で使ったきりまる一年動噴は動いていない。 セルのバッテリーは死んでいると思ったが 充電してみたら復活した。 たしかニカド電池は満タンで保存したからよかったんだろう。 一年ぶりに動噴を背負って歩く。 寝込むようなことになってはいけないが がんばることにしよう。

ワサビでなくフキだった

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 (20260501) 山奥の田んぼの水を迎えに行った。 土のうで作った水路は大雨の水で壊れている。 土のうを元の位置に戻して田んぼに来るよう水を迎えた。 ここには ワサビ があり自然に増えればいいと思っていた。 今年は増えているなと思ったが よく見るとフキの葉っぱが多かった。 フキはどうやって増えるのかあの生命力には感心する。 この谷は水は多くはないが 日照りが続いても水が切れたことはない。 ワサビ畑を作ってもいいと思うが 重機を使った土木工事が必要になる。 炭を焼いていた時代に僕の装備があれば 簡単にできるだろうが僕には工事をする技術はない。 もったいないなと思う。 この田んぼは一度水を張ると 水漏れは無くて水の管理は楽だ。 まだ水を入れていないのにこの状態だ。 その分秋にはコンバインが埋まり大変苦労する。 手前に池を掘ってドジョウやタニシ、メダカも放した。 メダカは大雨で流され田んぼで泳いでいたが 絶滅したようだ。 ここは山奥とあってイノシシに狙われやすい。 柵の周りはイノシシが出入りをしようとするのか 植物の根を掘るのかはわからんが 地形が変わるほど掘り返している。 数年前ここでイノシシとの攻防を繰り返した。 柵も高くし下には目隠しトタンも置いたので 今は落ち着いている。 豚熱から復活したイノシシが増えようとしているので 箱罠をやらないといけない。 猟をする元気がない。 被害が目立ち始めたら頑張ることにしよう。

寒いが5月の気温上昇に期待しよう

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  (20250430) 寒くて雨が降る。 直播した種が震えあがっているだろう。 高温で死ぬことはあっても寒くて死ぬということは ないと思うので少し安心だ。 せめて地温が15度あったらいいんだけど 比和は11度ぐらいまで下がった。 5月になると20度以上になりそうなので 期待しよう。 嫁さんがどこで調べたかは知らんが コゴミのマヨネーズ和えを作ってくれた。 人生初なんだけど何とか食べられた。 初ものといえばお化けシイタケのマヨネーズ和えも 新しく加わった。 シイタケも食べ飽きたんだけど 健康にいいのでいろんな食べ方をするのは いいことだろう。 それにしてもマヨはスーパー調味料だと思う。 タケノコも食べ飽きたが 山椒味噌和えはいつ食べてもご飯が進む。 僕が発見したタケノコはまだ取りに行っていない。 もう手遅れかも知らんが行ってみよう。

直播終了、課題が残った

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  (20260429) 連休と突入というところだが 僕らは冬以外、日曜祭日連休というものはない。 昔フラワーフェステバルに一度行ったことはあるが はるか50年前の話しである。 今日は寒かったが雨が降るということで ヤッケをかぶり残りの直播1haを済ませた。 僕の田植機は移植田植でもその能力はあるが 二人のサポートがいる。 直播と自動運転により一人でやることが可能になった。 田んぼに入りぐるり一周回り平面図を書く。 三角だろうが四角だろうが植える一辺のA-B点を結べば たちどころに走行線が決まり自動運転が開始できる。 一度入った田んぼは記憶されるので次の年から 空回り一周の平面図の作成はしなくてよい。 走行したところは色を塗ってくれる。 拡大縮小できるので今全体のどこを 走行しているのかも見える。 普通田植機は土の上に線を書いて走行する。 濁り水では線が見えないからどこを走っていいかわからない。 直播は水の溜まった濁り水のまま走行する。 直進して自動旋回するから、まるで船のオートパイロットだ。 GPSだけだと数メートルの誤差が出るが これは数㎝というからすごい。 走行した後もこんな状況で うまくいっているのかどうなのかは 種籾の減り具合を見て判断する。 最初の田んぼで種籾を落としすぎたと思って 今度は絞りすぎた。 結果種籾が予想以上に残り 動噴散布機かドローンで追い播きを しなければいけなくなった。 設定をどうすればいいかわかったんだが 直播は終了したので後の祭りだ。 来年の直播はまた一年生に戻る。 このブログを見てしっかり対応しようと思う。

プラス極のないバッテリーを初めて見た

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  (20260428) 直播の様子が気になって仕方がない。 様子を見て移植の田植をするかの 考えがグルグル回って目が回りそう。 ここはどうにでもなれと腹をくくるしかない。 次の田んぼに直播をしないといけないが水位が下がらん。 ヒタヒタの水で播けと指南書にある。 やみくもに種籾をまいても失敗してはいけないので もう一日延期をしよう。 TEMUで買ったセンサーライトを一年放置していたら 日当たり出していくら充電しても灯がつかない。 これはバッテリーが死んでいると分解してみた。 新しい電池を買い入れようとしたら プラス極が出っ張っていて入らない。 そういえば元のバッテリーにはプラス極がなかった。 バッテリーは平行にしか入らんようになっている。 仕方ないので中を壊して斜めに入れたら収まった。 元々のライトが千円。 新しいバッテリーが600円。 チョット高くなったが明るさは十分。 バッテリー容量も大きくしたので当分イノシシ脅しに 活躍してくれるだろう。

第一回の直播は失敗したかもしれん

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  (20260427) 自動運転に挑戦したが散々な結果だった。 直播機の操作も初めてで トラブル続きだった。 自動運転は何とかなるだろうというのは甘かった。 マニュアルを読んでもわからんので 結局若い姉ちゃんに電話でヘルプとなった。 直播は種を落としすぎ失敗したかもしれん。 少ない場合は後追いできるが 多すぎはくず米の大量生産になるので頭が痛い。 最終手段として代掻きをして田植をするというのがある。 田んぼの様子を見て連休後に判断しよう。 明日からは上手くやれそうだが こんなことになるのなら大きな田んぼでなく 小さな田んぼで試せばよかった。 そんなことがあって猫の手も借りたいが 余裕のあんちゃんはフォークリフトでくつろいでいる。 この座席は良いあんばいなんだろうお気に入りだ。 早く昼寝のできる身分になりたい。

タケノコも自家調達できるかも

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(20260426)  直播の代掻きが済んで気持ちにチョッピリ余裕ができた。 集落で使うイノシシ柵の調達もあり 三次までランチと買い物に行ってきた。 三次まで行くのはφ5㎜の柵は三次の ナフコにしかないからだ。 嫁さんは朝の間に山菜採り。 左からタラの芽、バカの芽、セリとなる。 一週間くらい取り遅れみたいだが てんぷらにしたら食べれた。 バカの芽と呼んでいるが本当の名前は知らん。 タラよりこっちが好きという人もいるから 人それぞれだ。 近くにシイタケもあるが これも採り遅れて開ききっている。 タケノコはもらうが それ以外の山菜は身近で調達できるのはありがたいことだ。 先日タケノコご飯を所望したら 山椒味噌とみそ汁の三点タケノコづくしになった。 水路に水が来ないと連絡があり 点検に行ってみると枯れ葉などのゴミが詰まっていた。 水路を点検して歩いていると近くにある竹やぶで タケノコを見つけた。 所有者はいないので僕がいただくことにする。 若いころ掘ったような記憶があるが 何とかなるだろう。

昭和は何もかも元気だった

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 (20260425) ガスのあんちゃんが毎月置いていく通信。 面白いのでいつも真面目に読む。 右の二軒は民宿をしていたのは初めて知った。 左が梶原で右が荒木という家で同級生がいたが どちらも癌で亡くなっている。 荒木君とは仲が良くてよく泊まりに行ったが 未婚だったので今は空き家になっている。 梶原さんの方は旦那が残っていて一人で暮らしているようだ。 昭和の初め頃、吾妻山にスキー場があって ナイターがあったというのは聞いていたが 中国新聞の写真を見たのは初めてだ。 ここを開いた小田研一さんは 比和で「比婆美人」という造酒屋をしていた。 その会社は庄原市内に生き残って営業をしている。 町の町長をしていて写真は見たことがあるが こんな事業をしていたとは知らなんだ。 僕は吾妻山の林道が半分出来たころスキーを担いで登った。 更に写真左の小山ルートから右の山頂に上がり 向こう側の大膳原に滑り降りたことがある。 よく晴れていたので山頂から大山の方向を見たら 下は雪庇(雪のオーバーハング)になっていた。 トンデモナイ絶壁に肝を冷やした。 遭難しないでよく生きて帰ったと思う。 51年経ってもあのことはよく覚えていて 思い出せば足が震える。 あれから林道が全線開通して 僕が還暦のお祝いをした吾妻山ロッジができて 越原(おっぱら)にもスキー場ができた。 スキー場には本物のナイターがあってよく行ったものだ。 仕事が終わりそのままスキー場へ。 あの頃はジモティーといわれ羨ましがられた。 あの頃鍛えた膝はどこに行ったんだろう。 町も僕も元気な昭和の話でした。